生活保護費で酒やギャンブルの何がいけないのでしょうか。
それらが悪いと言うのならそれらを取り締まるべきだと思います。
お金持ちはしてもいいが貧乏人は駄目という理屈はおかしいと思います。
生活保護費の使途はあくまで自由であるべきです。

貧困を理由に行動を制限させられるようなことはあってはいけない、
それでは健康で文化的な生活は営めないと思います。

健康で文化的な生活を憲法が保障しているのなら
生活保護を受けることは権利であり、且つ限りなく義務にも近いこと
忘れてはいけないと思います。
他者の貧苦を見ながらそれらの生活を送ることは大変難しいからです。


経済 | コメント(4) | トラックバック(0)
コメント
ギャンブル云々は目眩ましでは
「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」のプレカリアートです。早々のTB有難うございました。
ブログ主さんの言わんとする事はごもっともです。私も競馬ファンの端くれなので、ファンを一律にジャンキー扱いする風潮や、そのくせ橋下のカジノ特区構想は持ち上げる世論の不公平に対して、言いたい事は多々あります。
しかし調べていくうちに、ギャンブル云々ではなく、福祉や弱者を厄介者扱いし人間扱いせず、人権や尊厳を踏みにじる思想そのものを、問題にしなければならないのではないかと思うようになりました。生活保護やギャンブル云々というのは、寧ろその思想の本質をはぐらかす目眩ましではないかと。
最初に述べた競馬ファンへの偏見や橋下への贔屓の指摘も、それはそれで重要だと思いますが、あまりそこばかりに拘泥してしまうと、却って新自由主義者の術策に嵌まってしまう恐れがあると思います。
高所得者がやめてくれればどうなのかな?
酒やギャンブルなどが生活保護費受給者に、より規制される現実は、私も時折胸の奥で静かな怒りを覚えておりました。
自己所有している車さえも、原則は運転が認められません。ひとつひとつがどうということももちろんですが、それ以上に、やはり生活水準の差を見せしめる手段のようで、実際に自尊の念を折られます。

「そもそもギャンブルなんてないほうがいいんだから、むしろ規制されて健全だ」などという意見も耳にしますが、それこそ大元の構造的問題やそれによる現象を、ひた隠しにする、すりかえ論理だし古い道徳概念に押し留める為のスティグマを増幅させるに過ぎません。
私は生活保護は受給したことありませんが、生活に行き詰まり窓口に相談に行き、書類を交付してもらったことがあります。
そんな段階ですら、まだまだ恥ずべきことではないというキモチで受けられるものではないと実感しました。(私の場合は、相談員の方の問題とかではないです。)

負い目を感じることなく、必要なときに受けることのできる制度として改善するべきとしかいえないのではないかなと思いますし、それが利用されているとすれば、むしろそのことも看過できない問題が現れているのだと思います。

お手本として、高所得者の方が酒もギャンブルも禁欲したらカジノもなくなるのかなどうなのかな?
それはまた別の話なんでしょうかねー☆
プレカリアートさん
コメントありがとうございます。
何か寂しい社会ですよね。
それがもたらすものが本当に彼らが欲しているものなのか甚だ疑問です。
琉璃亜さん
コメントありがとうございます。
ギャンブル好きの高所得者の方々には、思い切って政府に沢山のお金を賭けてみてほしいです(笑)。

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