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久米島の日本軍による住民虐殺事件について
詳しく説明されている記事を見かけました。
リンク先の記事、出来ればのぞいてみて下さい。
戦争の一端を知ることが出来ると思います。

戦争に参加すれば、人は狂ってしまうか狂っているかのどちらかです。
ルール無しの殺し合いです、仕方がありません。
だから、戦争は絶対にだめなのです。
準備からしてはいけないのです。

2019-06-26
久米島の日本軍 海軍通信隊の鹿山正隊長と陸軍中野学校の「上原敏夫」

久米島は那覇市の西方100 km の東シナ海に浮かぶ周囲48 km、人口約一万数千人の島で、 沖縄戦では米軍の作戦計画の攻撃目標からもはずされ、日本軍の守備部隊も配置されない孤立した島であったから、本来は戦争の惨劇とは程遠い平和の島のはずであった。しかしこの無防備の小島にも皇軍は存在した。鹿山正海軍兵曹長(33歳) が率いる海軍見張隊 (電波探知隊) 35名の小隊が駐屯し、島の北部のウフクビリ山に電波探知機を設置して、付近に侵入してくる敵の潜水艦や飛行機を探知して小禄の海軍沖縄方面根拠地大本部へ通報する任務を負っていた。…
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久米島郵便局の安里正次郎は、避難するところを米軍に発見されて捕虜になった。彼は抗戦の無益をさとり、米軍の命で分遣隊に降伏勧告状を届けに行って、その場で殺された。
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…計九人が、米軍の上陸と同時に米軍に拉致されたが、その日に帰宅を許された。
六月二十九日夜十一時ごろ、鹿山兵曹長はこの九人を射殺したうえ、金城宅に集め、火を放って焼いたという。
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仲村渠明勇は沖縄本島で米軍の捕虜になったとき、久米島が無防備の島であることを米軍に説明して、島を艦砲射撃の難から救った恩人であった。八月十八日、彼は島に渡り「無抵抗でいるように」と、ふれまわった。そのために仲村渠父子(三人)は、鹿山兵曹長に仲里村字銭田(イーフ原)で惨殺された。
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韓国人の谷川昇一家は、戦前から久米島の字上江洲に住んでいた。彼は貧乏だったが、妻ウタ(大宜味村出身)との間に五人の子供がいた。彼は身におぼえのないスパイの汚名を着せられて、妻子もろとも一家七人が殺された。
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〔答〕ええ、火葬にしました。家といっしょにね、それから、あと片づけをするように、村長に命令しました。ええーと、ワシの見解はね、当時スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、アメリカ軍にやられるより先きに、島民にやられてしまうということだったんだ。なにしろ、ワシの部下は三十何人、島民は一万人もおりましたからね、島民が向こうがわに行ってしまっては、ひとたまりもない。だから、島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる処置が必要だった。島民を掌握するために、ワシはやったのです。
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私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人道的に悪いといわれても、それは時代の流れとして仕方がない。いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。
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「もう二度と戦争は起こすな。もうこれ以外はないです。人間が人間でなくなる」
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今回取材を通して感じたことは、戦争というのは急に来るものではなく、徐々に組み込まれていくもの。いざ戦争になってしまったらいくら平和を訴えても遅いということと、誰も守ってはくれないということでした。そうならないためにも、社会を見る目、教育はどんな方向に向かっているのか、マスコミの報道はどうなっているのか、それぞれが注意深く監視することが求められています。
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