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私は死刑制度は廃止すべきだと思っています。
殺人を罪としているのに殺人を行うのは道理に反すると思います。
何より誰にも誰かを殺させたくないです。

バイデン政権誕生で取り残される日本
 「死刑賛成8割」を憲法から考える

毎日新聞2021年2月13日

米国で死刑廃止を公約に掲げたバイデン政権が発足した。死刑の廃止・停止は国際的な潮流で、米国が死刑廃止国になれば、先進国で死刑制度が残るのは日本だけとなる。…
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 国連総会は07、08、10年に死刑制度がある国に「死刑廃止を視野に入れて死刑の執行猶予を確立すること」などを求める決議を採択。16年には日本弁護士会連合会が20年までの死刑制度廃止を政府に求めている。
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憲法36条は「奴隷的拘束」と「残虐な刑罰」を絶対禁止しています。奴隷的拘束や腕を切り落とすような残虐刑も重大な権利侵害ですが、死の方がさらに重大です。奴隷や残虐刑が絶対禁止なら、なぜ死刑が許されるのか。また、憲法19条は「内心で考える自由」を絶対的に保障しているとされます。しかし、命を奪われれば考えることはできなくなり、絶対保障された内心の自由を侵害します。
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 死刑は憲法が絶対に守ろうとしている価値を害しているのではないか。そこに目を向ける議論が登場してきています。
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国民の当事者意識の薄さだと思います。
法相や刑務官が、国民の目の届かないところで死刑を執行してくれる。しかし、彼・彼女らは、国民の代表が定めた法を執行しているだけです。主権者は国民であり、死刑執行のボタンを押しているのも国民全員なのだと自覚すべきでしょう。もし、目の前のボタンを押せば人が死ぬと考えたら、誰でもためらいますよね。そういう想像力や自覚が必要ではないでしょうか。

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被害者の感情が問題なら、死刑の是非や執行は被害者や遺族に委ねるべきです。しかし、被害者や遺族は死刑囚を「自分で殺したい」とはめったに言いません。また、被害者や遺族が「死刑ではなく、目を潰してほしい」と言ったら、そうすべきなのでしょうか。そもそも、遺族がボタンを押して「殺せてスッキリしました」と記者会見するような社会が理想的でしょうか。そうは思えません。
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 被害者・遺族の感情を理由に死刑を続けるのは、人を殺す倫理的責任を被害者に負わせ、自らはそれを免れようとする態度です。それは、「被害者に寄り添っている」というより「被害者を利用する」ひきょうな態度でしょう。
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