政府はここまでしなくては辺野古を埋め立てることは出来ないのです。
何処に民意があるのかは明白です。
辺野古への新基地建設、私は中止すべきだと思います。

連載【上】辺野古の海 「監視」の現場から見える暴力
神奈川新聞 7月3日

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 「権力者がその力を行使する場合、民衆にばれないようにこっそりとやるものだ。沖縄では違う。権力はむき出しだ。隠そうとしない。それは沖縄県民は下に思われているからだ」
 ただちに意味が理解できなかった私だが、漁船に乗り込み、沖へ出て、初めて分かった気がした。確かに本土とは違っていた。
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 傍らで船長は言った。
 「今日は報道陣相手だからか、おとなしいよ。今年に入ってから、基地建設に抗議する人たちの船に体当たりしてくるようになった。高速でぶつけられた船は大破し、カヌーは転覆させられた。乗っていた人は海に投げ出され、救急車で運ばれた。暴力が一線を越え、異常な事態になっている」
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 権力がここで行っているのは、監視ではなく恫喝であり、警戒ではなく暴力であり、監視活動という名の下の弾圧だ、と。
 そして分断という見えざる暴力も、また。
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 「海底でボーリング調査が始まり、辺野古ではほとんど漁ができなくなった。船を買ったり、修理したりで借金を抱えている。漁師が漁もできず、船の上で監視役として一日中、ぼーっと過ごすしかない」
 基地建設の推進側に立つか、反対する側に立つか、選んだのではなく、選ばされるという抑圧。
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 慣らされてゆくという、これも暴力に違いない。そしてその先に待つものを見た思いがした。
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昼食を取っていたときのことだ。
 目の前に座った、全国紙の論説委員の男性はゆっくりと、それでいて威圧的な口調で言った。
 「先日あなたがビデオ撮影について沖縄防衛局長にした質問は、防衛省の記録に残るだろう。むちゃなことはしないほうがいい。安倍政権を甘く見ないほうがいい」
 この物言いなのだ。沖縄の側に立ったとみなされた途端に向けられる、見下ろすまなざし。そして、かくも権力と一体化できる本土メディアの暴力性に、そこに属する一人として私は身震いを覚えた。

連載【中】辺野古の海 問われた地方の気概
神奈川新聞 7月4日


連載【下】辺野古の海 わが身向けられた問い
神奈川新聞 7月5日

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 〈1952年から2014年末までに県内で起きた墜落や落下物などの米軍機事故は225件。死者11人、負傷者28人〉
 11人の命が奪われ、11家族が愛する者を失った。たまたま、米軍機が上空にいたという理由だけで。
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戦争は人権を無視しなくては出来ない。
それは準備においてもです。



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