無縁仏という言い方、仏教界はもう少しよく考えるべきだと思います。
死者=仏のような捉え方は世間に大きな誤解を生みやすいと思います。
「縁の無い仏などあることなく、仏は全てと縁じている」と思います。

無縁仏 政令市、10年で倍増 貧困拡大背景
毎日新聞2017年7月16日
宗教 | コメント(9) | トラックバック(0)
コメント
No title
全くですね。
仏教会は鈍感すぎると言えそうですね。
和久希世さん
コメントありがとうございます。
仏教会、今こそ頑張って欲しいです。
No title
もし、仏教界に人格があったら
「私にそんなこと言われても困る」と言うだろうな。

調べてみると「無縁」という言葉は仏教用語では、
仏や菩薩との縁を示す言葉。
一般に使われる「無縁」(親類や身寄りの者がいない)とは
意味合いが違う。

「中二病」という言葉の発案者の伊集院光が
「言葉の発案者は全責任を全うすべき」という抗議に
「無責任なようだけど、言葉は進化するもの。
ダイナマイトもそうだった。責任を取るつもりは無い」
と答えてたのを思い出す。

ぶっちゃけた話、bandoさんの要求は
「言葉狩り」なんだよね。
自覚は全くないだろうけど・・・
No title
調べると仏教用語では二通りの解釈がある模様。

1.だれのためというような対象の区別がなく、
すべて平等であること。絶対の慈悲の境地。
例【無縁の慈悲】
 一切平等に衆生を救おうとする、仏の慈悲心。

2.前世に仏・菩薩と因縁を結んでいないこと。救われる機縁のないこと。

無縁寺などもありますから、多くの場合
無縁という言葉は1の意味で使われるのでしょう。
No title
行路病死者等を無縁仏と称するのは、
仏とは死人であると認めている事になりはしませんか?

仏教において仏とは悟った人という意味かと私は思っていました。
それで仏という意味を、真反対の意味に用いられては困りますと、
仏教会は声を上げるべきではないかと、私は思ったのでした。
No title
和久希世さん
>真反対の意味に用いられては困りますと、
>仏教会は声を上げるべきではないか

それをやると「言葉狩り」になるからなぁ・・・

言葉は生き物であり、常に変わりゆくものだよ。

例えば、軍歌「同期の桜」の出だしで「貴様と俺とは~」とある。
「貴様」は旧日本海軍で、同格の士官を指す尊敬語だった。
今、「貴様」という言葉は敵対的な意味で用いられる。
もし、海上自衛隊が
「「貴様」という言葉を敵対的な意味で使うべきではない」
と言い出したら和久希世さんはどう思う?
aku様
仰る意味は分かります。
しかし、仏という言葉は今一般名詞になっているかも知れませんが、元々は仏教の言葉なのです。
そして仏教を布教する人(僧侶)が、
今世間で仏という言葉の意味を、本来の意味と全く別の意味で、用いられている現実を見逃しているのでは、
仏教の教義を蔑ろにする事になっていると思います。

それでは、僧侶は仏教を信じ布教しようとしているのではなく、
葬式とその後の法事をする生業を続けるために、仏教の僧侶を続けているという意味になりかねません。

そういう意味で、
お坊さん達が今でも、お釈迦様の教えを大事に思っておられるのだったら、
仏=死者 という様な常識に気付いたら、
仏教徒として抗議せねばならないのではないかと愚考した次第です。
No title
和久希世さま
>仏教徒として抗議せねばならないのではないか

そこら辺は「神仏習合」の影響でしょう。
死者をカミとして祀る神道(土着信仰)が影響しています。

1000年以上かけて浸透していますから、
今更、抗議するのも・・・

私は「死者」を「仏」というのは
死後、安らかであって欲しいという人々の願いのあらわれだと思います。
大枠では「大乗仏教」の考えに近いものですし、
詳しくは無いですが、浄土真宗には「悪人正機」なる思想もあります。

ちなみに神道では「五十日祭」の節目で霊からカミになり、
日本の仏教では「四十九日」の節目で霊から仏になります。
故に香典は、
「葬式」では「御霊前」
「四十九日」以降は「御仏前」を持っていきます。
このような似た考えになるのは「神仏習合」の影響の
一端だと思います


余談ですが、神道のカミは「God」より広い概念です。
神道での「God」は、天津神・国津神を指します。
(コレを理解して報道していたら、靖国神社関連のトラブルは少なくなっていたんだろうけどね)
(「無知は罪なり」ってことなのかな・・)
aku様
お説の通りだとしても、
仏教で死者が仏と呼ばれるのは、死んでこの世の縛りから自由になった人という意味で、仏(解けた者)と呼んだと聞いた事があります。

ですから、無縁仏などの言葉は、絶対に容認してはいけない様な気がします。
其処には仏に対する敬意が皆無で、只単に死者をさす言葉として使用されていますので。
仏教徒として残念という事です。

管理者のみに表示